太學賜送
世宗九年丁未, 戶曹, 請以司宰監陳魚腊, 給民收價。上曰, 是與民爭利也。命給大學及五部諸生。
二十九年丁卯, 賜樽鍾。初太宗在潛邸時, 嘗遊泮宮, 泮宮舊有靑畫鍾, 卽諸生所用之器也。太宗甚愛之, 及卽位, 命本館, 匣而藏之, 屢賜酒食以宴之。由此爲館中所寶, 而年久殘缺。至是, 大司成鄭麟趾, 奏其事, 上聞之, 卽賜內府白樽二雙·白鍾畫鍾各一雙, 又賜酒于大學及四學, 學官, 率諸生, 謝恩。右議政河演與卿士, 會明倫堂, 課諸生, 仍設賜器宴, 賦詩以頌之。
世祖四年己卯六月, 上賜宴于成均館, 仍賜樂。憲府言, 文廟不當賜樂。上曰, 樂爲國家不廢之物, 則夫豈有正於朝廷, 而邪於成均之理乎? 所言, 甚無謂。
成宗二十三年壬子, 成均館典庫吏耗米略干, 有司, 欲令追償。上曰, 國雖小, 豈乏養賢之資? 其勿追償, 仍賜布五百餘疋·米三百餘石于太學, 又賜學田, 以備館中之需。同知館事李克增啓曰, 今承聖恩, 多受米布, 乞備酒食, 聚朝中文士及諸儒生, 以爲斯文盛事。上許之。設宴之日, 上遣承旨, 齎賜內醞及御廚珍味, 仍賜二畫樽·二畫鍾。
明宗十四年己未四月, 上行酌獻禮于先聖, 退御明倫堂, 試士, 賜成均館米一百斛·胡椒五斛。
孝宗六年乙未, 大司成金益熙啓曰, 太宗大王, 爲前朝國子博士, 行爵於館中, 有靑花盞。太宗卽位, 勅本館, 實藏之, 至成廟朝, 破缺, 成廟, 命改造, 而見失於壬辰之亂。今宜改造, 以續盛事。上命造二銀杯, 遣中使, 賜之, 仍下手札曰, 庸續舊典, 特賜銀杯, 非以侈矣, 欲其久也, 非以酒矣, 欲其和也, 惟爾師生, 用彰厥義, 式敬勿替。先是, 太宗, 爲前朝國子博士, 行爵於館中, 有靑花盞, 及卽位, 飭寶藏之。惟多士宴太學, 許以其杯行酒。成宗朝, 其杯破缺, 改造, 竟失於壬辰亂, 至是改造。
英宗八年壬子, 以御筆書三條之戒。一尊聖廟, 二正士習, 三務誠實。仍賜物膳, 諸生, 上箋謝。