唐律釋文序
夫禮者, 民之防, 刑者, 禮之表, 二者相須, 猶口與舌然。禮禁未萌之前, 刑制已然之後, 使民在宥, 各遂其生, 聖人用之, 不得已也。譬夫銜轡者, 馭其泛駕, 篙棹者, 撥乃橫流。有國有家, 廢之莫得。惟聞刑措, 豈去刑書? 然聽斷之間, 慮生疑惑, 從輕則惠姦何益, 加重則反善猶難。爰自周秦, 歷于南北, 唯有刑目, 罔定條綱。雖國僑鑄鼎, 叔向猶非, 況屬後人, 寧無差誤。天厭前代, 寶命我皇。聖慈惟刑是恤, 冀同樂擧觴, 遂詔刑官, 刪修墜典, 以寬猛相濟, 以輕重隨時, 一協公平, 更無迷謬。然刑統之內, 多援引典, 故及有艱字, 法胥之徒, 卒不能辨。又有新入仕員, 素乖習熟, 至臨斷案, 事一決於胥, 又無識, 豈不有非聖慈者哉!且如問云, 加杖二百, 比徒四年, 部曲與奴婢不等, 義服與正服有乖, 若此之差, 例皆多目。故此山貰治子治經之暇, 得覽金科, 遂爲釋文, 以辨其義, 此蓋有志於民者也。又見不自誣擧仕, 仍爲敍引, 聯誌歲時云爾。