1.1.6. 酒禁 [英祖 9年(1733)]
▷ 술의 금지
英宗九年, 本曹判書金東弼所啓, “卽今都市直踴貴, 米價日以底下, 而他無可救之路, 一分生穀之道, 只在於禁釀一事. 而臣近日採聞閭巷物情, 則今當歲首, 賣酒之家, 例釀三亥酒, 至於此時, 則多者或至一二百甕, 小者亦不下數十甕云. 以此貢人受出之貢物價米及三江貿得之米船, 皆入於多釀之家. 若有禁令, 則又復分釀他家, 榷利尤甚, 事極痛駭. 朝家雖有嚴禁之令, 而慮其有弊, 旋或弛禁, 實無懲戢奸民之道矣. 大抵逐日呈訴, 無非毆打殺人之事, 究其本則皆由於酒矣. 夫人家祭祀及賓客之需, 雖不可廢之, 而若其賣釀之家, 則必以三令五甲之意, 預爲捧甘於五部, 另加申飭. 若有現發者, 嚴刑遠配, 則凶歲穀貴之時, 必有效. 以此意出擧條, 分付於五部, 未知何如.”
上曰, “再昨年戒酒之後, 不爲更飭, 而至於多釀, 則實爲尾閭之費矣. 値此凶歲, 穀貴之日, 不可不各別嚴禁. 多釀者, 勿爲徵贖, 繩以重律之意, 申飭, 可也.”