1.3.2. 更定酒禁 [英祖 43年(1767)]
▷ 다시 금주를 정함
英宗四十三年, 敎曰, “殿中旣有『述編』亦云, ‘人子之道, 貴賤何異.’ 雖許醴酒, 懼於麯子至用蜜水. 噫, 有器具則蜜水猶用, 窮巷士庶·微賤小民, 此亦亦爲. 以此觀之, 祭用三層, 王公用淸酒, 士庶用蜜水, 庶民用玄酒, 是豈無貴賤一也之意哉, 亦豈絜規之道哉. 其自冷節, 令士庶用祭酒, 示上下同行之意, 慰孝子順孫之心. 然今日此敎之後, 嚴立科條, 然後予意可質. 彼蒼勿論王公匹庶, 爲上而宴, 爲親獻壽, 許其醴酒, 禁其淸酒. 且禁令宜簡而嚴. 凡身爲士庶, 非祭而飮酒者, 勿許淸顯, 士庶以下, 勿齒人類. 造釀者之類, 切勿徵贖, 依法嚴懲. 街上使酒, 場市相鬪之類, 初犯者嚴刑一次, 再犯者加刑一次. 淸酒外造紅白露者, 施以終身投諸海濱之律. 以此分付中外, 此非强竊, 其治有法, 此後凡諸禁令, 一付法司.”