318. 正祖 14年(1790): 조창(漕倉) 역을 봉족에게 지워 쌀섬을 나르게 한 데 적용하는 율
◉ 漕倉之役保軍負石律
正宗十四年庚戌, 左議政蔡濟恭所啓, “近聞‘聖堂倉漕米裝載時, 負石價米, 不知用於何處. 使境內軍保納布之人, 替當其役軍人, 非慣水之人, 渠安敢背負米石, 足躡懸梯, 來往於跨水搖蕩之板乎? 以故不得已給價船工, 以免罪責, 而其價之費, 殆有甚於一匹所納之價’云, 事之驚駭, 莫此爲甚. 此等不正之規襲謬已久, 今不可一一追覈以勘其罪, 而此後, 則如不以負石元定米雇人, 以用使役軍人, 如前之爲, 則該守令, 繩以重律, 斷不可已, 其所廉察, 專在於營門, 嚴飭該道伯, 使之現告狀聞論勘之地, 何如?”
上曰, “依爲之. 價米則消瀜, 保軍則擅用, 一猶難赦, 況兩罪之俱發乎? 小民至殘最窮者, 莫如保軍, 雖在應用之役, 爲官長者, 苟有一分仁人之心, 寧忍循例困督? 而聞卿之所奏, 始於此弊, 若不別般嚴飭, 噫, 彼無告何以息肩乎? 且聞‘本倉之外, 亦有似此之弊’云, 旣聞之後, 當一例設法痛禁. 如是申飭之後, 或調一丁役軍者, 準大明律擅調軍丁律論, 不卽摘發登聞, 則道伯亦以違令條事理重者照勘, 斷不饒貸事, 分付禁府載之受敎, 可也.”