384. 正祖 23年(1799): 계절에 따른 검험 절차
◉ 檢獄節氣
嘉慶四年十二月初十日, 上親臨春塘臺試射入侍時, 司諫朴崙壽所啓, “雖以今番兩道事觀之, 檢獄法例, 關係至爲嚴愼. 向來副護軍洪義浩所啓諸條中, 有按節「氣」寒暑, 量看證多少, 不必拘於事目, 先招後檢, 卽是甲辰事目, 而今曰按節寒暑, 然則暑月先檢, 寒節先招之謂, 而看證多少, 未招之前, 非可預料者. 至於不拘事目云者, 意在纖悉, 語欠周愼. 雖無不拘之句語, 種種違式之弊, 有西北諸檢狀之不審, 萬有一疑亂獄情者, 倣用於不當用之地, 末流之弊, 有不可勝言, 蓋暑月行檢, 晷刻爲急, 則直請甲辰事目中懸註與釐改, 未或不可, 旣存事目, 又曰不拘, 下語終涉容易, 闊狹又非定制. 請下詢大臣, 更加爛商, 務歸至當, 以爲一定不易之法焉.”
上曰, “依啓事, 命下矣.”
依下敎發遣郞官, 問于大臣, 則領府事金憙在外.
判府事李秉模以爲, “行檢本非獲已, 奸僞亦自多端, 雖已發狀, 及夫捧招也, 當下落空者, 比比有之. 若是者, 檢官例以雖到檢所, 不爲行檢之意, 剖析論報, 而猶或未審, 則使之檢不檢, 又在按法之地. 今以暑節先檢, 生一層節, 則恐不無務欲詳而反啓弊之慮. 且自官抵彼之際, 已不得不費劫多少時辰, 發變雖爭晷刻, 緩急不係毫忽, 且念檢前之招, 不比檢後招之反復拖長, 無論懸註與釐改, 竝置之似合法意”云.
左議政沈煥之以爲, “殺獄檢驗, 法例至嚴, 甲辰事目, 或欠周詳處, 就其條補註若附錄, 固無不可, 而若以勿拘事目爲言, 則其弊也, 將見按獄者隨意闊狹, 凭地汎濫, 無所事於事目矣, 臺臣所論, 誠是矣. 宜令司寇之臣, 取洪義浩所啓中諸條, 參考於甲辰事目, 而可錄者錄之, 可祛者祛之, 仍附事目之後, 以爲參看之地, 亦好矣”云.
右議政李時秀以爲, “檢驗事體, 至爲嚴重, 法文一字, 低仰不得, 雖鍊於獄案者, 莫敢違定制而創己見, 或疎於檢式者, 亦得按成憲而審獄理. 若曰不拘事目, 許其臨時商量, 則檢招之際, 必有後弊, 臺臣之言, 未爲過慮. 當初擧條中字句, 使之更加釐改, 實合重獄體之道云矣. 諸大臣之議如此, 上裁, 何如?”
傳曰, “當初擧條, 亦有議于曾經判堂, 更議大臣指一定式之下敎, 而今始取見啓下者, 其時擧條中批答, 渾入於抹去中, 有此臺臣之啓矣. 事目之不可輕改, 臺臣言亦是, 依此施行, 可也.”