467. 高宗 3年(1866): 조운선의 호송과 고의 파선 처벌
丙寅五月初十日, 次對, 左議政金所啓, “漕輓裝發後, 沿海各邑之指路護送, 以其正供所重而然也. 挽近法綱解弛, 或行或不行, 只以過境文牒, 循例枚報, 事之駭然, 莫此爲甚. 已往固難一一追究, 而自今爲始, 各其境護送等節, 申明舊式, 毋敢違越, 若或復踵前習, 不謹擧行守令, 施以制書有違之律. 道臣亦難免不飭之責, 竝以此意, 發關申飭於漕船所經各道, 雖以漕船與京江船言之, 裝穀上來時, 每多臭載之患. 夫以慣海漕卒, 水路安危, 豈有不識不知之理而詐僞, 若是無嚴乎? 此後情節之有涉故敗者, 不待更稟, 直施梟警之律, 內而舟橋有司, 外而該道道臣, 一體預先嚴飭, 各自糾察, 俾無容奸之弊, 何如?”
上曰, “各別申飭, 俾有實效, 可也.”