306. 正祖 14年(1790): 통행금지 위반 3사 하례의 처벌
◉ 三司下隷犯夜者重棍後移刑曹照律草記
正宗十四年庚戌, 因兵曹啓‘三司下隷恣意犯夜各決棍’事, 傳曰, “幷放送, 憑藉鑞牌, 恣意犯夜兩漢, 營底保授, 過辜限後, 加棍十五度, 移送該曹照律. 三司連日不爲合啓, 果是如何之義理? 而渠輩雖蟣蝨之徒, 名以三司下隷, 則直若成均館齋直, 慣聽之文句, 當知‘明義錄’三字. 渠輩之犯禁, 豈不爲泮僕之罪人乎? 蟣蝨之徒, 亦不識‘明義錄’之畏懼, 則義理之掃地, 尤可知. 是豈但以犯夜言之乎? 此後則三司下隷之犯夜者, 原更數外重棍, 移送刑曹, 照律草記事, 卿及巡邏各營巡廳捕廳知委, 各令書揭壁上, 仍以此傳敎, 載之政院軍士房故事刑曹受敎謄錄, 可也.”