246. 正祖 8年(1784): 금표 내의 장사 처벌 (2)
甲辰五月 日到付. 節到付備邊司關內, 節啓下敎. 公洪水使書狀, 據司啓目粘連啓下是白置有亦, “觀此公洪水使韓侃狀啓, 則宜松山, 禁標內入葬者, 勒限掘移載在事目, 而士夫家累代墳山, 同爲禁松, 故不許追葬, 則不但子孫之呼冤, 亦非久遠可行之法, 入葬之時, 使其先呈本營, 發遣虞候 軍官摘奸裁穴處哛, 伐木烙印後, 許令埋葬, 仍令山主, 一體禁護, 其於養松之道, 以爲便當是如爲白臥乎所, 禁松封標內地, 是若有主墳山, 則禁其子孫繼葬世所, 未易狀啓所陳, 似爲得當, 依此定式施行爲白乎矣, 其他空山之禁標內入葬者段, 一依事目嚴加禁斷宜當向事.”
一. 水營遵行節次, 禁標內若有冒葬之人, 而現發於摘奸時是去乃, 若自地方官報來, 則定限掘移後, 依律正罪事.