15. 壬辰九月 日[1832년(순조 32) 9월 일]: 무엄하고 난삽한 상언과 격쟁의 엄단
領議政南箚子, “伏以云云, 放逐罪人洪百榮, 令秋曹嚴刑遠配, 使王章伸, 而輿憤洩焉. 臣箚將上之際, 伏見都憲鄭基善疏本, 其引宋臣楊萬里之言, 果有先獲者矣. 所謂上言·擊錚之雜遝, 無如近日之甚, 此亦國綱日弛·俗習日濫而然, 如此不已, 弊將難言. 繼自今, 凡民幽隱, 而許官府決聽及妄干恩澤之事, 竝勿許捧, 雖係四件, 屑越煩瀆, 殆同歲課者, 亦令防禁, 犯者定罪, 不但嚴飭, 攸司依臺言, 一著令式, 永爲施行, 其於杜倖鎭淆之政, 庶有所補, 更乞留神焉. 取進止.”
答曰, “洪百榮事, 春間處分之後, 今又漫不懲畏者, 豈非駭惋之甚乎. 放逐與行遣無異. 且朝廷之隄防若嚴, 則此等希覬, 自不敢生心, 不專在於加律與否矣, 尾陳事, 近來猥雜, 非但僥倖之成習, 亦係紀綱不嚴, 以卿箚辭, 著爲令式, 使法司恪遵, 亦自廟堂措辭, 知委於京外, 俾得咸知此道理, 無至更犯, 可也.”