17. 丙申四月二十日[1836년(헌종 2) 4월 20일]: 환곡을 허위로 처리한 수령의 처벌
藥房入診, 大臣·備局堂上引見入侍時, 左議政洪所啓, “日前賓對, 伏承慈敎, 以還穀虛勘守令律名事, 有爛商稟奏之命矣. 糶糴法意, 至爲嚴重, 其無意徵督, 以致虧課, 與不謹典守一任偸弄者, 設或有情犯輕重之不同, 其爲溺職病公則一也, 烏得不嚴加懲勘. 而至於積弊之後, 收殺未易, 拘掣近規, 自歸虛勘者, 雖事非得己情, 或可原, 而若以是曲加參恕, 槩從輕典, 則以今狃玩之習, 其將益無顧憚, 而公家倉庾之積, 立見其枵竭而後已矣, 後弊所在, 決不容議, 到於闊狹. 而第伏見『大典』倉庫條, 有曰, ‘虛錄守令, 徒三年定配, 又五年禁錮, 掩置之後官, 徒配, 勿揀赦前.’ 蓋‘虛錄’云者, 卽指始逋作俑之守令也. 近來掩逋守令之與始逋同勘, 雖出於申嚴糴法之義, 而揆以『大典』本意, 未免有混淆之歎. 自今以後, 守令之以逋糴罹罪者, 王府照律之際, 詳加區別, 始逋則一依『大典』本律, 竝施配·錮, 其襲謬掩置者, 若無任內, 身犯則只勘以徒配, 至於反弄那移, 有肥己染指之跡者, 自當以贓法論斷. 又不止於虛勘之本律而已. 如是則情輕者, 旣獲少寬, 犯重者, 益當知畏金石科條, 可免輕重之失平, 糴法之嚴, 亦庶無弛縱之慮. 以此意分付金吾, 著爲定制. 而此非別刱新式, 卽是舊典之申明, 則令前令後, 宜無異同, 昨年以後, 掩逋勘罪之守令, 除有躬犯者外, 禁錮則竝令分揀, 何如?”
大王大妃殿答曰, “前後守令, 每每無區別, 而同爲被罪, 一竝禁錮事, 甚悶然. 今聞卿言, 古法卽然, 依爲之.”