57. 己巳四月初九日[1869년(고종 6) 4월 9일]: 월경자의 금단조치
次對入待時, 領議政金所啓, “犯越之禁, 法意莫嚴, 而西北沿邊之往往蕩然, 識〔職〕由於一有犯越, 則論警地方與道·帥臣故也. 第念罪其地方官, 則戍邊將卒, 孰有發覺, 責及道·帥臣, 則爲守令者, 又豈有發覺, 登諸公牒乎? 此所以由前由後掩匿, 不以聞者也. 今若稍變定規, 賞其當場跟獲之功, 無罪前日不察之失, 則猶恐捕捉之不多, 必無掩覆之理. 自今爲始, 凡於邊邑去處, 吏校軍民, 則必以捕捉之多寡, 另加褒施, 俾爲激勵, 固圉之方. 守令, 則亦從勞勩之最著者, 臨時論賞, 而萬一虛實相蒙, 或有僥希倖占之弊, 隨其現發, 一切以法從事之意, 嚴加申飭, 何如?”
上曰, “依爲之.”