十八. 禁侵虐平民恐喝索賂[英宗 32年(1756)]
英宗三十二年丙子, 左議政金若魯所達, “近來法綱解弛無餘, 都下無賴之輩, 假托風聞, 肆行閭間, 稍有富名者, 則突入結縛, 捽出道路, 百般恐喝, 百般威脅, 或銀或錢, 滿意捧賂, 然後又稱圖囑從中放送, 此實曾所未聞之事, 事之可驚可愕, 豈有加於此者乎. 日前自備局, 執捉犯此罪一漢, 卽爲査問, 則渠亦無辭自服, 故移送秋曹, 使之嚴勘, 而當此末世, 如此之類, 若不別樣痛繩, 將無以懲勵他人. 分付秋曹, 嚴刑三次, 極邊定配. 此外又聞, 苧洞近處, 金姓·朴姓兩姓人家, 作拏之事, 而此則虛實姑未的知, 令刑曹及左右捕廳, 刻期譏捕, 依此律勘罪. 大抵此弊, 日滋月甚, 殆遍於城內外及三江之間云, 此無異於白晝强盜矣. 輦轂之下, 如不得禁斷, 則其可謂國有法乎. 此後此類, 仍令兩捕廳, 各別詗察, 隨捉隨送秋曹, 以法繩之, 何如?” 令曰, “依爲之.”