今二月初六日大臣以下引見入侍時, 兵曹判書趙尙絅所啓, 臣於六鎭守令閫望事, 有所懷, 閫望, 必以曾經六鎭三甲守令者新通, 故多有拘礙之端, 臣意則以曾經江邊七邑守令者, 一體通擬, 則似甚得宜, 雖以邊地言之, 固無輕重彼此之別, 下詢大臣而處之何如, 左議政金曰, 西北邊地, 旣無異同, 事當一體用之, 若只以六鎭三甲曾經人, 通擬閫望, 則目前姑以曾經曾擬之人, 僅僅充補, 而前頭漸少, 實多, 苟艱窒礙之弊, 依兵判所達施行似好矣, 右議政宋曰, 北路則道路險遠, 官況殘薄, 西路則道里稍近, 官況稍優, 旣以通擬定式, 則似不無取舍之弊, 而六鎭又將歸於無勢矣, 然西北邊地, 旣無異同, 大體則兵判所達, 亦似然矣, 上曰, 江邊七邑, 與六鎭無異, 一體通擬可也。