今九月十三日大臣·備局堂上引見入侍時, 右議政閔所啓, 獄囚之多, 未有甚於近日, 自上再下疏釋之敎, 皆是重囚, 故蒙放者絶少, 頃者欲捕在逃賊人張吉山, 自朝家申飭, 故鐵原討捕使鄭履祥, 發送軍校, 機捕於江原·忠淸·兩西北道, 移囚京獄, 自捕廳亦送從事官及部將於諸道, 而捉來如此之際, 豈無濫觴之事乎, 大抵捕廳用亂杖, 刑曹用法杖, 法杖則旣有分數, 又有日次, 故死囚等承服於捕廳, 反辭於刑曹例也, 許多賊人, 將無結局之時矣, 各道死囚反辭於監司親問之時, 則例爲還送各官, 而栲訊, 刑曹亦依此例, 擇其中獄情明白者還捕廳, 更爲栲掠取服後, 移刑曹處斷似宜, 各道大黨未取服者, 亦充滿獄中, 而無養獄之道, 責出於京主人, 其勢已難支堪, 京主人轉責於各其官, 其弊甚多云, 令各其大將就議於廟堂, 可放者放之, 似當矣, 上曰, 已承服賊人有贓物獄情無疑者, 依所達更送于捕廳, 未承服賊人, 亦依所達, 捕盜大將就議廟堂疏釋, 可也。